
斜に構える自分が消えた話:構え転生の真理と仮想敵の正体!
どうも、真理ギフターのけーです。
アシスタントのラニです。
今回は、私が発見した。「構え転生の真理」を紹介します。
なんか武術みたいな名前ですね。
道場でも開くんですか?
武術系ではないよ(笑)
今回紹介するのは、自分で作った心を守る仮面が、自分を乗っ取られてしまう。
それの解除方法を紹介します。
最近ふと気づいたんですけどね、
前まであった“斜に構えた捻くれ視点”が、
いつの間にか、すっかりなくなってたんです。
「どうせ〜」とか「こいつ、俺を舐めてる」とか、
そういうのが自然と湧いてた時期があって、
それを“自分の性格の一部”みたいに思ってたんですよね。
でも今は、まったく湧いてこない。
気にしてないわけじゃなくて、「湧かない」んです。自然に。
では、なぜ湧かなくなったのか、それを解き明かしましょう!
そもそも「捻くれた視点」とは何か?
すべてが同じではないと思いますが、
私にとっての“捻くれた視点”は、自分と周囲のズレから身を守るための仮面でした。
何度も裏切られ、
信じた相手に理解されず、
やがて私は「人を信用しない」「期待しない」というスタイルを取るようになっていました。
たしかにそれは、ある意味で“楽”な在り方だったと思います。
信じて傷つくくらいなら、最初から信じない方が楽。
期待して裏切られるくらいなら、最初から期待しない方が安全。
そんなふうに、自分を守る“構え”として身についたものでした。
でも、そのスタイルには明確な欠点もありました。
×物事に対する“面白み”が薄れていく
×思考が閉鎖的になり、ネガティブが加速する
つまり、心の安全と引き換えに、世界とのつながりが薄れていく構造だったんです。
無理に捨てたんじゃなくて、再構成された
面白いのが、これって
よし!やめよう!
って頑張ったわけじゃなくて、
「スーパー×ノーマル真理」を見つけて、それに沿って自分で整合していった結果なんですよ。
この安直な名前のスーパー×ノーマル真理を簡単に説明すると
「物事に絶対はない。それだけは絶対だ。だがその限りではない。」
と、物事を多角的に見ることができる真理です。
詳しくは下にリンク貼っときます^^
で、話戻りますね。
「あ、これは偏った見方だな」
「相手に過度に期待してるな」
「構えすぎて自分がしんどいだけだな」
──っていう“気づき→修正”を地道に繰り返していくうちに、
自然と、その視点は出てこなくなったんです。
例えば―――
たとえば、こんな場面がありました。
○○を改善したいんですが、どうですか?
それいる?必要ないと思うけど?
このように職場で誰かがこちらの提案に乗ってくれなかったとき、
昔の自分ならすぐにこう思ってました。
「ああ、やっぱり俺のことなんて最初から聞く気なかったんだ」
「こういう奴は結局、自分の都合しか考えてない」
でも、その思考が浮かんだ瞬間、
「…いや、これってもしかして“斜に構えてる”だけかも?」と気づいたんです。
実際には、相手も忙しかっただけかもしれないし、
ただタイミングが悪かっただけかもしれない。
説明の導線不足だったかもしれない。
それに「乗ってくれなかった=自分が否定された」と考えるのも、ちょっと極端かもしれない。
そこで自分に問い直しました。
「今、過度に“理解されたい”と思いすぎてないか?」
「相手が自分の期待通り動くのが“普通”だと思い込んでないか?」
そうやって一つずつ“構え”を見つけては、
丁寧に整合でほどいていく作業を続けていたら──
気づけば、あの捻くれた視点が自然と出てこなくなってたんです。

↑スーパー×ノーマル真理についてはこちらをどうぞ!
(最後に見るわ!って人ように一番最後にも貼ってるおきます^^)
でも完全に消えたわけじゃない
捻くれた視点の仮面は
仮想敵に転生したのです!
たとえば──
ブログで「これが真理だな」と思えるような内容をしっかり整えて、
「よし、これは世に出せるな」と感じた時、
ふと、心の中で聞こえてくるんです。
お前の言ってること、理想論すぎるだろ!
最初は「また出たか」ってなるんですが、
こっちは整合で積み上げてきてるんで、冷静に返します。
理想ってのは“叶わない願望”を語るときの話。
でもこれは、現実に照らして整合が通ってる。
実例もあるし、前提もチェックしてる。
どこが理想だと思ったの?
すると──
・・・・・・
→ そのままフェードアウト(笑)
かつての捻くれた視点が、自分の考えに対する敵対役として私の考えを補強してくれるようになったのです!
昨日の敵は今日の友ですね^^(本来自分を守る味方だから敵ではないが)
これが「構え転生の真理」の由来です(安直)
次のページでは、どうやったらこうなれるかに踏み込んでいきます!
